社会意識と超意識 その2

 

前回の続きです。

 

 

「社会意識」を元にした「制限された思考」。

 

これを常に持ち続けることを受容していると

(無意識的にこれをしている例が多いと思います)、

それに伴う感情も常に感じ続けることになります。

 

そうすると、同じような「思考+感情+現実」が

セットで繰り返される日々が続く。

 

「社会意識の河」から思考が入ってくることを許容していると、

自分の中からもそれに似た思考が自然に生まれ、

その思考がまた社会意識の河へとリリースされ、

また似たような思考が自分の中に入ってくる・・・という循環が繰り返される。

 

 

このブログでよく紹介しているエイブラハムも、

このことをわかりやすく教えてくれていますね。

 

 

今回は、「社会意識」であれ「超意識」であれ、

空気のように私たちが常につながっている「意識」を元にした

思考と感情に対して、身体がどう影響を受けるのかについて、

もう少し掘り下げていきたいと思います。

 

 

 

 

  ————『ラムサ ホワイトブック』より

 

 

 

 あなたの体は、脳とあなたの

 集合的な思考にしたがって維持されている。

 

 というのも、あなたが自分の脳に入ることを許すあらゆる思考は、

 体のすべての細胞に電流を送り、それを養っているからだ。

 

 しかし、子どものころから、そして社会意識の中で

 物事を考えることができるようになってから、

 

 自分は成長し、老いて、死ななければならないという

 プログラミングをあなたは受け容れてきた。

 

 そして、あなたがその思考を受け容れてきたために、

 自分の体の中の生命力が衰え始めたのだ。

 

 なぜなら、「年をとる」という思考は、

 遅い振動数、つまり低い振動数の電流を

 それぞれの細胞構造に送るからだ。

 

 その速度が遅いほど、体の敏捷さもどんどん失われていく。

 

 というのも、体がそれ自身を再生し、

 修復していく力が弱まるからだ。

 

 こうして、老化という現象が起きることが許容され、

 最終的には体が死ぬことになるのだ。

 

 だが、もしあなたが振動数の高い思考を

 つねに受け取ることを自分に許せば、

 

 あなたはもっと速い、

 強力な電流を体全体に送ることになり、

 体は永遠にその瞬間にとどまることになる。

 

 つまり、体は決して年老いることも

 死ぬこともなくなるのである。

 

 だが、ここにいる誰もが、

 体は老いて死んでいくものだということを「知っている」。

 

 それゆえ、だんだんとその電流も弱くなっていくのだ。

 

 

 

 

 

日々当たり前のように何年も何十年も

「社会意識」とだけつながることを自分に許していると、

「知ること」に対して無防備になります。

 

事件、事故、不正、病気、老化など、世間や身の回りで起こっている

(あるいはこれから起こるであろう)あらゆる問題が、

自分にも起こる可能性の大きさを「知ること」になり、

 

それとは逆の以下のようなことを「知ること」を、

自分に許容できなくなります。

 

 

 

 脳の中の今はまだ起動されていない部分は、

 ただ単に知ることを通して、体の中のどんな場所にある、

 どんな損傷であれ、それを再生する能力を持っている。

 

 自分の体は自己治癒ができるのだとあなたが知った瞬間、

 その思考は中枢神経系を通して

 さらに強い電流を傷ついた部分に送る。

 

 そしてそれは、各細胞の内部にあるDNAが、

 クローニングによってその細胞を完璧に再生することを可能にするのだ。

 

 

 完璧に、である。

 

 

 あなたはそれが奇跡的なことだと思うだろうか?

 

 それがあるべき姿であり、実際にそうなっているのだ。

 

 

 

以前の記事でご紹介した、

末期癌で瀕死の状態から生還したアニータ・ムアジャーニさん。

 

彼女の脳と体内で起こっていたことは、まさにこれだったのでしょう。

 

臨死体験で得た「私は知っている!」という揺るぎない確信が、

癌に侵食されていた細胞を健全な状態にまで

急速に再生させたのだと思います。

 

 

そして、「末期癌が治った!」という

アニータさんのような体験談を「知ること」で、

知った人の体内にも変化が生まれます。

 

 

「風邪は治る。癌も治る」

 

 

これも「超意識」の思考です。

 

 

 

 

ラムサによると、私たちは脳の1/3しか使えていないそうです。

 

しかし、「超意識」とつながることを受け容れるようになると、

眠っていた脳の部分が起動し、サイキックとか

奇跡と呼ばれるようなことが起こせるようになる。

 

私自身も「それは自分にも感じらる」とか、

「それは自分にもできる」を「知ること」で、

以前は「無理だ」と思っていたことが

今では当たり前にできるようになっています。

 

それらはどれも、「社会意識」の制限を大きく超えたものでした。

 

きっと、私の脳の中の眠っていた部分が、

「自分にもできることを知っている」を私が受容した瞬間に、

起動しはじめたのだと思います。

 

 

 

 これまでに自分の基準として受け容れてきたものよりも

 偉大な思考を、あなたがひとつ受け容れるたびに、

 それは脳の中の別の部分を新たに起動させ、

 

 その部分が意図的に使われるようになる。

 

 あなたがそうするたびに、その偉大な思考は、

 あなたの理性的な思考能力を遠くに運んでくれる

 「運び手」となってくれるのだ。

 

 それは、あなたの脳のさらに別の部分を起動させ、

 もっと多くの思考を受け取り、

 もっと多くを知ることを可能にしてくれる。

 

 あなたが「超意識」、つまり制限のない思考を体験することを望むとき、

 あなたの脳下垂体は開き始め、立派な花のようになっていく。

 

 それが開けば開くほど、そのホルモンの流れも増えていき、

 脳の中の眠っている部分がさらに活性化され、

 さらに高い振動数の思考を受け取ることができるようになる。

 

 

 天才になるということは、とても簡単なことなのだ。

 

 あなたが「自分で」考えるようになればいいだけなのである。

 

 

 

 

 

「超意識」とつながっている人(自由で幸せな人など)に会ったり、

そういう人たちが書いたものを読んだり、

アニータさんのように奇跡を起こした方の体験談に触れることは、

私たちにとって大きな力になります。

 

 

興味がある方は、アニータさんの本

喜びから人生を生きる!』も手に取ってみてください。

 

もちろん『ラムサ ホワイトブック』もエイブラハムの本

(ブログの右横にリンクを貼ってあります)もおすすめです。

 

 

 

「社会意識」も「超意識」も、

私たちが手を伸ばせばすぐそこにあります。

 

 

 どの「意識」を選ぶかは私たち次第。

 

 「超意識」とつながれば、脳の機能まで変わる。

 

 脳の機能が変われば、全身の細胞が自己治癒をはじめる。

 

 そして、私たちの可能性は無限大になる。

 

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 


社会意識と超意識

今日は「社会意識」と「超意識」について、

ラムサの言葉を借りながら書いてみたいと思います。

 

長い記事になりますので、

興味がある方だけ読んでみてください。

 

 

 

 

 

  ————『ラムサ ホワイトブック』より

 

 

 

 意識は河のようなものであり、

 あなたの自己のすべては(体のあらゆる細胞を含めて)、

 絶え間なくそれによって養われている。

 

 というのも、思考こそがあなたの生命を維持し、

 その存在を確実なものにしているからだ。

 

 あなたは意識の流れからの思考によって生きているのである。

 

 食物からの栄養物質をあらゆる細胞に運ぶ血液の流れによって、

 あなたの体が生きているのとちょうど同じように、

 

 あなたの自己のすべては、意識の流れから発する、

 思考という根本物質によって維持されているのである。

 

 

 意識の流れからやってくる思考を使って、

 あなたは自分の存在のあらゆる瞬間を創造している。

 

 あなたは思考の河から絶え間なく思考を取り出しながら、

 それを魂で感じ、その感情によって自分の全存在を養って拡大し、

 

 そしてその拡大した自己という思考を思考の河へと戻し、

 それによって全ての生命の意識を拡大しているのである。

 

 あなたは今日、ある創造的な思考について熟考するかもしれないが、

 あなたがそうすると、その思考はあなたの魂の中に

 電気的な振動数として記録される。

 

 すると、それと同じ振動数があなたの体から放出され、

 意識の流れの中に入っていくが、

 それによって、ほかの誰かがその思考をとらえて、

 それを使って創造することが可能になるのだ。

 

 つまり、あなたが考え、感じることは、

 ほかのあらゆる者がアクセス可能であるということだ。

 

 彼らはあなたの思考によって養われ、

 あなたは彼らの思考によって養われているのである。

 

 

 

私たちの思考は「意識の河」でつながっていて、

全ての存在がその河の流れにアクセスできる。

 

そして、その河から思考を受け取り、

その思考で自己の全て(心と身体)を養っている。

 

 

ここで大切なのは、

私たちがそのことを知っていても知っていなくても

「そうなっている」ということです。

 

 

 

 

 

 あなた方の天界がその繁栄の基盤としているさまざまな思考は、

 社会意識という、制限された、振動数の低い思考である。

 

 それらの思考は、きわめて制限が多く、

 何にでも価値判断を下したがるとても厳しいものである。

 

 それは、あなた方の人生が、生存に関する態度によって、

 さらに化身の死であれ、自我の死であれ、

 死への恐れに関する態度によって、支配されているからだ。

 

 そのため、あなた方の意識は、食べ物や住居や仕事、

 そして黄金についての思考で占められている。

 

 また正しい — 正しくない、よい — 悪い、といった価値判断、

 流行や美、他人に受容されること、他人との比較、

 年齢、病気、そして死についての思考で占められている。

 

 これらの低い振動数の思考は、

 あなたのまわりにいる人々の思考の中で支配的なものであり、

 その結果、あなたのオーラ・フィールドの中に

 いとも簡単に入ってくる。

 

 それゆえあなたは、きわめて制限の多い

 よどんだ意識からの限られた思考によって、

 つねに養われているのである。

 

 そして、このような思考が自分を養うのを許しているとき、

 あなたはそれらの思考が生むフィーリングを外に発し、

 人間の制限された思考を再生産し、永続させているのだ。

 

 

 あなた方の大都市の意識はとくに制限されている。

 

 というのも、そこに生きる者のほとんどが、

 きわめて競争的で、時間志向、流行思考が強く、

 他人をとても恐れ、互いを受容することができないからだ。

 

 そのため、すべての大都市は濃密な意識でおおわれている。

 

 ほかの宇宙からここにやって来た者たちが

 それらの都市を見下ろしたときに見るのは、

 さまざまな色の光でできた濃密な網目状のものである。

 

 それは、きわめて制限された意識が生み出す

 低い振動数の思考であり、それが光の場として現れているのだ。

 

 

 

 

 そういった思考よりも振動数の高い「超意識」の思考とは、

 「在ること」、存在、生命、調和、ひとつであること、

 絶え間ない継続性などの思考だ。

 

 それらは愛の思考であり、喜びの思考であり、

 天才の思考である。

 

 それらは無限の思考であり、

 本当はこれらの言葉による表現さえ超えたものである。

 

 というのも、無限の思考からのフィーリングを、

 言葉で言い表すことなどできないからだ。

 

 

 より振動数の高いそれらの思考は、

 人間のよどんだ思考から離れた

 自然の意識の中のほうが体験しやすい。

 

 そこでは、生命は単純であり、時間を超えて絶え間なく続き、

 それ自身と完全に調和しているからだ。

 

 そこでは、あなたは人間の価値判断から離れ、

 自分自身の「知っている状態」の鼓動を聞くことができる。

 

 

 

人が沢山いる所や都市部や繁華街が苦手だという方は、

恐らくそういう場所に流れている

「濃密な社会意識(=恐れをベースにした思考)」を

敏感にキャッチしているのだと思います。

 

 

それとは逆に、自然や動物に触れたり神社やお寺へ行くと、

気分が晴れたり心が穏やかになるのは、

そこに流れている「超意識=(愛、喜び、無限の思考)」を

受け取っているから。

 

 

「超意識」にアクセスすることをエイブラハム流に言うと、

「ソースとつながること」「ヴォルテックスに入ること」ですね。

 

 

 

 

「あなたは、どちらの意識を選ぶのか?」

 

 

例え「社会意識」の海の中にどっぷり浸かっていたとしても、

 

たった今、空を見上げて地球の丸さを想像するだけで、

花や木々の美しさを詳細に観察するだけで、

愛らしい動物の感情や思考を感じようとするだけで、

 

「恐れ」や「制限」とは全く異なる、

「無限の意識」を受け入れることを選択できます。

 

 

また、「超意識」の海の中にどっぷり浸かっていたとしても、

 

誰かと自分を比べて自分の価値を下げたり、

病気の情報を見聞きして自分もいずれはそうなるだろうと想像したり、

世界や日本や身の回りの人の問題を注視するだけで、

 

「無限の意識」とは全く異なる、

「恐れ」や「制限」を受け入れることを選択できます。

 

 

でも、それはほんのわずかな気づきの差でしかありません。

 

 

大都市に住んでいても「超意識」につながっている人はいるし、

休日に自然に触れて心が軽くなったのに、

日常生活に戻るとまた不満だらけの思考になる人もいます。

 

 

 

 

「今の思考は、どの意識が元になっているのか?」

 

 

これは、その思考が「条件つきのものか?」

それとも「無条件のものか?」でわかります。

 

 

「何かの条件が満たされれば、

 私には価値がある、私は幸福になれる。」

 

 

こういった思考が「社会意識」をベースにした思考で、

「超意識」をベースにした思考は、いつも無条件です。

 

 

このことについては、もう少し書きたいと思います。

 

 


自分クイズ

 

「五郎さんにクイズです!」

 

 

「え?クイズ?」

 

 

「ボクの好きなアニメは?」

 

 

「アニメ?最近のやつ知らんしなぁ。

 え〜っと・・・プリキュア!」

 

 

「ブ〜〜〜!それ女の子が観るやつやん!」

 

 

「じゃあ、機関車トーマス!」

 

 

「ブ〜〜〜!それはもっと小さい子どもが観るやつ!」

 

 

「え〜、なんやろなぁ」

 

 

先日の施術中のひとコマです。

 

6才のAくんからどんどん出題される「自分クイズ」。

 

それに答えながら、施術は続きます。

 

 

 

 

「ボクの好きな食べ物は?」

 

 

「また『ボク』?ほんで食べ物?そんなんめちゃくちゃあるやん。

 なんかヒントちょうだいよ」

 

 

「ヒントはありません!自分で考えてください!」

 

 

「え〜〜〜!(笑)」

 

 

「じゃあヒント!昨日食べたやつ」

 

 

「わかるか!」

 

 

「じゃあ大ヒント!『お』がつく食べ物!」

 

 

「『お』?お、お、お、お好み焼き!」

 

 

「ピンポン!」

 

 

「他は?」

 

 

「え?まだ言うの?」

 

 

「ヒントは、ラーメンに似たやつ」

 

 

「ん〜っと、そば!うどん!ソーメン!」

 

 

「ブッブ〜!答えは焼きそばでした!次は?」

 

 

「焼きそば?ラーメンと全然違うやん。汁無いし。

 よし、スパゲティ!」

 

 

「ブッブ〜!答えはラーメンでした!」

 

 

「おいおい。ヒントで出したん答えにするか(笑)」

 

 

「じゃあ、この前ボクが旅行に行ったところは?」

 

 

「わかるか!」

 

 

 

 

・・・と、こんな感じで、Aくんの「自分クイズ」は施術中ずっと続きました。

 

 

きっと、Aくんには「自己否定」の感情がないか、

あったとしてもとても少ないんですね。

 

 

「自分が自分のままで在る」ことが

当たり前に受容できているこういう感覚。

 

 

自分が6才の時はこうだったかなぁ・・・。

 

 

今ではよく覚えていませんが、

ここ数年で私もその感覚を少しずつ取り戻せています。

 

 

Aくんとの時間で、そのことにも気づけました。

 

 

 

 

Aくん、ありがとう。

 

 

また会いましょう。

 

 


感じる力、愛する力

前回の記事の続きです。

 

今日は、『あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間』より、

ディーパック・チョプラさんの言葉をご紹介します。

 

 

 

 今度、あなたが決断をする必要があるときは、

 知性で理解しようとせずに、あなたの体の感覚で

 心地良いか悪いかに注意を向けてみましょう。

 

 そして、直感的な感覚に従っていくのです。

 

 

 知性で理解することも良いのですが、

 あなたが正しい決断をしているかどうかの

 究極のテストにはならないことがほとんどです。

 

 

 選択をする前に、体に聞いてみましょう。

 

 

 「これについてどう感じる?」

 

 

 もしあなたの体が心地良さと

 熱意のシグナルを送ってきたら、それを進めましょう。

 

 もしあなたの体が、身体的あるいは感情的に

 苦しいようなシグナルを送ってきたら、気をつけて。

 

 

 あなたが何かをするときに、

 あなたの体が心地良く感じるのであれば

 それは正しい決断です。

 

 もし体が不快に感じるようであれば、

 それはやるべきでないことなのです。

 

 

 あなたが宇宙のリズムの調和から離れてしまっているとき、

 あなたが受け取る感覚は、身体的であれ、心理的であれ、

 感情的であれ、不快な感覚です。

 

 

 あなたが宇宙と調和して流れに乗っているとき、

 あなたが感じるのは心地良さ、気楽さ、そして喜びです。

 

 

 

 

 

そういえば、『アミ小さな宇宙人』の中で、

宇宙人アミはこう言っていました。

 

 

 

 「好きということはひとつの愛のかたちだ。

  愛がなければ楽しみはない。
  意識がなくてもおなじことだ。

  思考は人間のもっている可能性の中で、
  三番目に位置する。

  第一位は愛が占める・・・

  われわれはすべてを愛するよう心がけている。
  愛を持って生きるほうが、
  ずっと楽しく生きられるんだよ。

  きみは月が好きではなかったね。
  でも、ぼくは好きだ。

  だから、きみよりよけいに楽しんでいるし、
  より幸せなんだよ」

 

 

 

アミが言うには「愛」の次にくるのが、

「意識(感じることや気づき)」だそうです。

 

 

 

 

身体の声を聴く。

 

フィーリングを信じる。

 

そして、自分の中にある

自分だけの「好き」という感覚を大切にする。

 

 

そういう癖をつけていると、

だんだんと感覚のアンテナが鋭くなるし、

 

思考で「ああだこうだ」とこねくりまわすよりも先に、

もう自分の中で答えが出ていることに気づけたりもします。

 

 

 

 

思えば、私たちは子どもの頃からずっと、

「思考の力」を伸ばそうと努めてきました。

 

それは大人になった今でも続いています。

 

でも、それよりも先に、

「感じる力」や「愛する力」の方を伸ばせば、

「思考の力」は勝手に発展していくんじゃないかと思うんですね。

 

 

そう思って、今日も長々と書いてみました。

 

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 

 


フィーリングを信じるゲーム

 

「オーリング(テスト)の精度を上げるには、

 どうしたらいいと思いますか?」

 

 

少し前、あるお客さまから質問されました。

 

 

「オーリングの精度が上がったら、

 その時の自分に合う食べ物や健康食品や

 薬なんかを選ぶ時にも便利だし・・・」

 

 

「確かにそうですね。

 でも私・・・オーリング、しないんです(笑)」

 

 

 

 

この仕事を始めてすぐの頃は、

オーリングテストや筋反射テストを学んだこともありました。

 

 

そういうもので、例えば、来られたお客さまの不調の原因や、

その方に今必要な施術方法を的確に知ることができたら・・・。

 

 

そう思って、結構高額なセミナーに行ったこともあるんですが、

あまり身に付かなかった。

 

実際にやってみて、しっくりこなかったんです。

 

 

 

 

それから何年も経って、今の私が採用している方法は、

ただ「感じること」です。

 

施術でもプライベートでも、

「今、どんな感じがするかな?」を感じて、

その感覚を基準に物事を選択したり決めたりしています。

 

 

 

 

例えば、キャベツを買う時なら・・・。

 

 

野菜売り場に沢山並んだキャベツ全体をぼんやり眺めて、

「どのキャベツに目が惹かれるか?」を感じる。

 

次に、目が惹かれたキャベツを実際に手に持った時、

「いい感じ」がするか?

 

もしもそれがイマイチだと感じたり、

「よくわからない」などの迷いが出た時は、

また全体像に戻って惹かれるキャベツがあるかを再び感じる。

 

2回目に惹かれたキャベツと最初のキャベツを両手に持ってみて、

どちらが「いい感じ」がするかをまた感じてみる。

 

そして、「いい感じ」がした方のキャベツを

買い物かごに入れる。

 

 

加工食品の場合は、

パッケージの裏に書いてある原材料も見た上で、

更に「感じて」から決めます。

 

 

時には失敗もありますが、

ゲームだと思って楽しんでやっています(笑)

 

 

もちろん、オーリングや筋反射や

ペンデュラムなどの方法が心にしっくりくる方は、

それで決めるのが一番だと思います。

 

 

 

 

ちなみに、私が感じる「いい感じ」は・・・

 

呼吸がしやすい、胸のあたりが楽になる、肩の力みが抜ける、

自然に笑みが出る、明るく見える(感じる)、立ちやすい、

身体の軸が通る、いい香りやいい音がする・・・などなど。

 

 

最初はよくわからなくても、

段々と自分が感じている「いい感じ」がわかるようになります。

 

 

自転車に乗れるようになるのと一緒で、

「いい感じ」がわかるようになると、

自分の感覚を信じるのが当たり前になっていきます。

 

 

そして、日々そんなことをやっていると、

感覚の精度も自然に上がります。

 

 

 

 

「フィーリングを信じるゲーム」

 

 

気が向いた方はやってみてください。

 

 

 

 


理想

※少し長い記事です。見えない世界や、

 心のことに興味がある方は読んでみてください。

 

 

 自分が王になるまで

 王の苦しみはけっしてわからない。

 

 そして、王は召使いになるまで

 自分の召使いの謙虚さをけっして知ることはない。

 

 また、信心深い女は、妾の立場になるまで

 妾の苦労はわからない。

 

 そして、妾の立場にある女は、信心深い女になるまで

 その価値判断を知ることはない。

 

 したがって、美徳にあふれた人生への道は、

 あらゆるものを内包するものなのだ。

 

 それは、人間の意識の中で創造されたあらゆる性質、

 あらゆる状況の幻を内包している。

 

 これこそが、最も賢く、最も高貴な存在たちが、

 人類の冒険が創り出したすべての状況を生きている理由である。

 

 彼らは売春婦であり、聖職者であった。

 彼らは、グルであり農民であり、殺人者であり殺された者であり、

 征服者であり征服された者であり、子どもであり親であったのだ。

 

 

 あなたにもわかるはずだが、あなたが他人を非難するのは、

 自分の中の受け容れることのできない側面を

 他人の中に見つけるからにすぎない。

 

 もしあなたがすべての状況をすでに生き、

 そのすべてを安らかに受け容れることができているならば、

 

 あらゆる人間を理解し、価値判断なしに

 彼らをそのままでいさせてあげるのは簡単なことである。

 

 なぜなら、あなたはすでに彼らになったことがあり、

 彼らに価値判断を下せば、自分自身に

 価値判断を下していることになるのを知っているからだ。

 

 そのとき、あなたは

 真の思いやりという美徳を得たのであり、

 深い愛があなたの魂の中に存在するのである。

 

 そのときあなたは、まさにひとりのキリストだ。

 

 なぜならあなたは、さまざまな制限の中にいる

 愛すべき兄弟たちを、理解し、愛し、許すことになるからだ。

 

 

 

 

 「父」のすべてをそのまま愛する、

 そのすべてになるということは、

 「父」であるものすべてを愛することだ。

 

 そして、「父」であるものすべてとは、

 あなたのまわりにいる愛すべき兄弟たちのことである。

 

 どのように見えようと、

 あなたが自分の現実の中で神であるように、

 彼らもまた彼らの現実の中で神なのである。

 

 そして、彼らの栄光、彼らの奮闘、

 彼らの悲しみと喜びをあなたがすべて生きたとき、

 

 あなたはすべての人々の中に見える神を

 抱き容れることができるのだ。

 

 そのとき、あなたは彼らを愛することができる。

 

 それは、世に出て彼らに教えなければならないとか、

 彼らを救わなければならないということではない。

 

 ただ単に、彼らをそのままにしておき、

 彼らの必要性と意図にしたがって進化させてあげるのだ。

 

 自分の運命が将軍になることであったり、

 聖職者になることであったり、

 商人になることである者たちもいる。

 

 なぜなら、それが彼らにとって必要なことであり、

 彼らがしたいことだからだ。

 

 彼らからそれを、どうして奪い取ることができようか?

 

 

 この世界にいるあらゆる者は、

 植えていようと、体に障害があろうと、

 農民であろうと、王であろうと、

 

 その体験から何かを得るために、

 自分の体験を選んだのだ。

 

 その体験から学び、そこから充分に得てはじめて、

 さらに別の体験へと進んでいくのであり、

 

 その別の体験は、自分の中の中核にある自己に

 さらに偉大な理解をもたらしてくれるのである。

 

 

 

 

 あなたがひとりのマスターとなるとき、

 制限された意識の暗闇と泥沼の中に脚を踏み入れながらも、

 あなたは自分の全体性を維持することができる。

 

 なぜなら、あなたは世にあふれる大衆のことを理解しており、

 彼らがなぜそういう状態なのかを理解しているからだ。

 

 それは、あなたもかつてはそうだったからである。

 

 あなたは彼らに、

 制限された状態でいる自由を許すわけだが、

 これこそが本当の愛である。

 

 なぜなら、そうすることが、彼らが制限のない理解を持ち、

 互いに愛し合うことを学ぶことができる

 ただひとつの道であることをあなたは知っているからだ。

 

 互いに愛し合うとは、

 もちろん自分自身を完全に愛することである。

 

 そして、あなたが群衆の中のひとつの顔を見るとき、

 その肌の色や清潔さや外見にかかわらず、

 その存在の中に神を見るのである。

 

 なぜなら、あなたがじっくりと見つめれば、

 誰の中にも神を見いだせるからだ。

 

 そのとき、あなたは「父」が愛するように愛している。

 

 そして、「父」が見るものを自分自身の中だけでなく、

 ほかのあらゆる者の中にも見るのだ。

 

 あらゆる者を見て、

 彼らの本当の美しさを見ることができたとき、

 

 あなたはこの天界から、

 たくさんの館があるさらに壮大な空間へと

 アセンドする旅路についている。

 

 だが、自分自身を完全に抱き容れ、

 自分のまわりのあらゆる生命の中に生きる神を

 抱き容れることができない者には、

 その扉は閉じたままなのだ。

 

 

 あなたが人々を神という本来の地位に戻し、

 何をしていようとも、彼らは自分の内なる神のために

 生きていることを知るとき(これは、あなたが

 自分の内なる神のために生きているのと同じだが)、

 

 あなたはすべての人々を愛することを学ぶことができる。

 

 彼らの表現がどんなものであろうと、

 これまでの存在ではじめて、

 あなたは本当の意味で彼らを愛することができるのだ。

 

 というのも、あなたの愛は

 価値判断によって制限されたり、

 抑制されたりするものではないからだ。

 

 そして、これがまさに、キリスト、

 すなわち「神として生きる人間」の内面のあり方なのである。

 

 

      ——————『ラムサ ホワイトブック』より

 

 

 

 

 

昨日はよく晴れて、桜がとても綺麗でした。

 

こういう気持ちが穏やかな時に、

道ですれ違う人の中に「神」を感じてみる。

 

 

「この人もあの人も、みんな神なんだ」

 

 

公園に座って桜を眺めている人、立ち話をしている女性たち、

杖をついて歩いている人、色んな国の人たち、

自転車に乗る学生、スーパーの店員さん、木や花・・・。

 

 

「みんな、それぞれの表現をしている神なんだ」

 

 

そう思っていつもの道を歩いたら、

心が静かに満たされました。

 

 

 

 

 

 「父」とは愛である。そして「父」は審判を下さない。

 

 「父」は善悪を持っていない。プラスもマイナスも持っていない。

 

 「父」はただ存在する「在ること」である。

 

 

 そしてその「在ること」は、

 すべての人々、すべての行為、すべての思考、

 すべての感情、すべての物を内包している。

 

 

 もし「父」があなたに審判を下すようなことがあれば、

 「父」は間違いなく自分自身に対して審判を下していることになる。

 

 

 なぜなら、あなたと「父」はひとつであり、

 同じものだからだ。

 

 

 

善悪や決めつけなどの制限された目で誰かを見ることは、

自分の中の「神」を制限することになる。

 

 

「この人は今、こういう表現をしている神なんだ」

 

 

日常には心が乱れることも多々ありますが、

できるだけ制限の無いクリアな目で、

人や物事を見ようと思いました。

 

 

 

 

それが今の私の理想です。

 

 


ネガティブになった時はどうすればいいか?

 

「気持ちがネガティブになった時、

 そこから早く抜け出すいい方法ってありますか?」

 

 

少し前にこういう質問を受けました。

 

 

このブログでもよく書いていますが、

ネガティブになった時にまず大切なのは、

急いでそこから抜け出そうとしないことだと思います。

 

 

「早く冷静にならなきゃ。

 ポジティブな自分に戻らなければ!」

 

 

こういう時の気分って「焦り」です。

 

 

それでなくても気分がネガティブになっているのに、

そこに「焦り」をプラスしたらもう、

火に油を注いでいるのと同じことになりますね。

 

更に、それに気づかず「焦り」が続いて、

「ネガティブなままの自分はダメだ〜」ってなったら、

「自己否定」という強力な燃料までプラスされてしまいます。

 

 

だから、まず最初にすることは、

ネガティブな自分をひたすら受け容れる続ける。

 

 

「腹が立って当たり前。あいつ嫌いで当たり前。

 落ち込んで当然。悲しんで当たり前。

  

 ネガティブな自分でオッケー。

 今のネガティブは正常な反応だから大丈夫」

 

 

人が何と言おうと、自分だけは自分を受け容れ続ける。

 

それを踏まえた上で、

ネガティブになった原因や問題は置いといて、

自分のお気に入りの何かで気分を変える。

 

 

くれぐれも早く目的地(いい気分)へ着こうとしないことです。

最初に言った通り、また「焦り」が生まれますから。

 

 

でも、早くポジティブになろうとしている自分も

「焦るのは当然だ」と受け容れ続ける。

 

 

「好きなDVD観てるのに、全然気分が晴れへんやん!」

 

 

という自分も「あんなことがあったら仕方ないで」と受け容れ続ける。

 

 

・・・と、私の回答はいつもこんな感じですが、

今日は「ネガティブとポジティブ」について

ディーパック・チョプラさんの言葉をご紹介したいと思います。

 

 

以前にも何度かご紹介した本、

あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間』から。

 

 

 

 

 

 ネガティブ志向とはどんなものでしょう?

 

 それはひとつの解釈です。

 

 

 ポジティブ志向とはどんなものでしょう?

 

 それもまたひとつの解釈です。

 

 

 そしてポジティブ志向とネガティブ志向の違いは、

 時にかなり表面的なものです。

 

 もしあなたが私にポジティブな考えをもったほうが

 好ましいかどうか質問したなら、私はこう言うでしょう。

 

 

 「もちろん、ポジティブ志向は

  ネガティブ志向よりも好ましいです」

 

 

 しかし、ポジティブな心もネガティブな心も両方、

 心がかき乱された状態になり得ますし、

 時々一方が他方に非常に素早く切り替わることもあり得ます。

 

 またたく間に勇気は恐れになることがあります。

 またたく間に愛が嫉妬に変わることがあるのです。

 

 これらは心がかき乱された状態の例です。

 

 ポジティブな心よりもっと重要なものが、静かな心です。

 

 

 私たちはポジティブな心とネガティブな心の両方を超えて、

 静かで、判断しない、分析しない、解釈しない

 心になることを学ばなければなりません。

 

 言い換えると、静かな目撃者になることです。

 

 

 静かに目撃している状態にあるとき、

 私たちは内なる静寂を経験します。

 

 純粋な静寂の中にいると、私たちは自分の源と、

 すべてのものにつながっていると感じます。

 

 このつながりから生まれてくるものは、

 進化的で自然発生的という傾向や性質をもっています。

 

 

 静寂の中で、私たちはただ潮流とともに流れ、自然と

 状況や環境や他人や自分自身に対して判断せず、

 分析せず、解釈しないようになります。

 

 静寂の中で、内なるエネルギーが自然に目覚め、

 各状況において適切な変化をもたらします。

 

 

 

 

 あなたがいわゆるポジティブやネガティブな性質を

 他人に対して表現したとき、

 あなたには欠陥があるわけではなく、

 あなたは完全なのです。

 

 

 あなたが自分の影を心地よく感じるとき、

 それは無限の意識があなたをそのようにつくったからであり、

 

 影さえも愛情をもって容認するとき、

 あなたは計り知れないほど魅力的で、

 あなたの人生は冒険に満ちたものとなります。

 

 

 あなたが自分自身のあいまいさを心地よく感じるとき、

 それは自然なことであり、

 この世で自然でいることより美しいものはありません。

 

 

 あなたが自分の強みと弱みの両方を心地よく感じるとき、

 あなたからシンプルで気取らない人間性が溢れ出します。

 

 これが、人に好かれる本質で、

 それは愛を遠ざけるような態度がない状態だからです。

 

 

 このような状態でいるとき、あなたは

 

 

 「他の人は自分をどう思うかな?」

 「自分は勝っているかな、劣っているかな?」

 「自分のことを好きかな、嫌いかな?」

 

 

 という考えに捉われて、絶え間なく

 まわりの承認を求めるようなことはありません。

 

 あなたは存在しない理想と自分を比べる必要がないのです。

 

 

 「自分はまだまだ良くない。私は充分可愛くない。

  僕は充分格好良くない。自分は充分金持ちではない」

 

 

 などとあなたのエゴは言ってはいないのです。

 

 

 あなた自身の経験が対象依存的な場合、

 それは恐れに基いていて、

 あるがままの状態に抵抗しています。

 

 

 あなた自身の経験が自己完結的な場合、

 それは愛に基づき、あるがままの状態を受け入れています。

 

 

 自己完結的な人は自然で、他人の意見に影響されません。

 

 彼らは無邪気で、シンプルで、子供のようです。

 

 

 「神様、私をただ単に

  今ある状態のようにしてくれてありがとうございます。

 

  私には良いところも悪いところもあって、

  すべての物が自分の中にあります。

 

  私は完全です」

 

 

 自己受容、完全な自己受容は自分を許すことです。

 

 あなたが自分自身を許し、

 自分自身を裁くことをやめたとき、

 あなたは他人を裁くことをしなくなり、

 

 そして世界で争いごとが減っていくでしょう。

 

 

 

 

 

美しい言葉だと思いました。

 

 

こういう言葉や表現を自分の中に取り入れると、

心が豊かになりますね。

 

 

「ポジティブでもネガティブでも、どっちでもええやん。

 

 私は私やん」

 

 

そう思えたらきっと大丈夫です。

 

 

そしてまたつまずいたら、

そのことを思い出したらいいだけです。

 

 

 

最後に、私と友人のツーショットを。

 

 

私の場合は、この木と一緒にいるだけで静寂に戻れます。

 

 

 

 


乗り越えるべきですか?

 

「以前に勤めていた職場でも今の職場でも、

 似たようなタイプの苦手な人がいて・・・

 

 乗り越えなきゃいけないのにそれができていないから、

 また同じような人が目の前に現われるんだと思っていて・・・」

 

 

「これはあくまでも私の意見ですが、

 乗り越えなくてもいいと思いますよ」

 

 

「え?いいんですか?」

 

 

「はい。

 

 『やっぱり私はこういう人が苦手なんだな』って、

 自分の好みを明確にできた。

 

 それだけでいいと思います」

 

 

 

 

苦手な人の前で平気な自分を装う必要もないし、

そういう相手に認められる必要もないし

(そもそもそれは相手次第だから)、

 

嫌いな人を好きになる必要もないし、

嫌いな人に無理して「いい顔」をする必要もない。

 

 

自分が今感じている感情にウソをつくと、

この人生で何よりも大切な「自分の心」が萎みます。

 

 

苦手な人は苦手のままで大丈夫。

 

嫌いな人は嫌いのままでオッケーです。

 

 

乗り越えようとすると、

乗り越えられていない今の自分に苦しくなる。

 

 

だから、私は乗り越えなくてもいいと思います。

 

 

 

こう言う私も、苦手な人は苦手のままだし、

嫌いな人は嫌いのままです(笑)

 

 

「こいつのこういうところ、嫌いやわ〜!」

 

「クソやな」

 

 

と、正直に感じたままを感じます。

 

 

そう感じている自分を否定しないし、

相手を無理に好きになろうともしないし、

 

人に対してネガティブな感情を抱く

今の自分を乗り越えようともしません。

 

 

そのまま自分の中で感じ切るだけです。

 

(ちなみに、攻撃もしません)

 

 

 

ただし、ゲームをクリアするみたいに、

苦労して乗り越えるのを楽しみたい人は

乗り越える方を選ぶといいですね。

 

 

どっちを選ぶとホッとするか?

 

気持ちが楽になるか?

 

いい気分になるか?

 

 

いつでも「自分の心」を基準に決める。

 

 

 

 

自分の心に正直になると、この人生を生きるのが楽になりますよ。

 

 


シンクロ二シティ

 

昨日の夜のこと。

 

 

月に1回のウクレレのレッスンに向かう途中、

ふと空を見上げると、目の前の電線に沢山の鳥たち。

 

ムクドリでしょうか。

 

 

 

 

鳥たちはみんな大人しく並んで止まっているのかと思いきや、

中には押し合っているものも。

 

 

「お前、もうちょい向こう行けや!」

 

 

みたいな感じ(笑)

 

 

 

 

レンズのズームを元に戻し、

電線が真横に写るようにデジカメの角度を変えていたら、

「あれ?」っと、手が止まりました。

 

 

 

 

「これ、何かに似てるなぁ・・・

 

 あっ!ウクレレの弦!」

 

 

 

 

 

これはもう少し前の話。

 

 

いつもよりちょっと高い卵を買って食べたら、

「めっちゃうまかった!」という記事を2月の末に書きました。

 

 

ちょうどその日の夜、

兵庫県篠山市で仕事をしている友人から電話がありました。

 

彼と話すのは1年ぶりくらい。

 

最近になって軽トラを改造して焼き鳥の屋台を始めたそうで、

家でも沢山ニワトリを飼っているとのこと。

 

 

「え〜!すごいなぁ!

 じゃあ、そのニワトリを焼き鳥にするん?」

 

「いやいや、家で飼ってるニワトリは卵を産ませるだけやねん。

 いい餌食べさせてるからうまいで。

 今度五郎ちゃんにも送るわ」

 

「それは嬉しい。ありがとう!」

 

 

(数日後、友人から届いた卵は美味でした)

 

 

そして次の日の朝。

 

いつも通りEテレで『シャキーン!』などを観た後、

なんとなく朝日放送にチャンネルを変えると、

『おはよう朝日です』で篠山市の町おこし企画をやっていました。

 

 

 

こういうシンクロに出会うたび、

「人生っておもしろいなぁ」と感じます。

 

目の前の現実は何も変わっていないし、

物質的な何かを得たわけでもないのに、

「豊かだなぁ」と感じます。

 

 

「ソースとつながってるなぁ」

 

 

そう一人で満足している今日この頃です。

 

 

 

お時間と興味がある方は、

以前に書いた記事も読んでみてください。

 

 

シンクロニシティと偶然の一致

 

シンクロニシティと偶然の一致 その2

 

 


なんのために?

 

 エイブラハムと意識的につながる何年も前のこと、

 エスターは学業の合間に、

 心の病と考えられている人たちの施設で働いていた。

 

 ある朝、病院の施設内の道を歩いていると、

 ばかでかい機械に乗った何人かの患者が土の山を動かしていた。

 

 最初の日、彼らは土の山を庭の一角から別の一角に運んでいた。

 翌日、同じ土の山をさらに別の一角に運んでいた。

 

 だが、その次の日には、また最初にあった場所に戻していた。

 

 

 エスターは付き添いの一人に尋ねた。

 

 

 「彼らは何をしているの?」

 

 

 「別に何もしていません。

  ただ、彼らを忙しくさせているんです。

  彼らにすることを与えているんです」

 

 

 と付き添いは答えた。

 

 

 エスターはむなしさを噛み締めながら言った。

 

 

 「彼らの人生にだって、

  ただ土を動かすことだけ以外に、

  したいことがあるに違いないわ」

 

 

 何年後かに、彼女がその話をしてくれたとき、

 わたしたちは言った。

 

 

 「エスター、

  君の気持ちを傷つけるつもりはないけど、

 

  物質世界のすべての住人が

  ほとんどの時間やっているのはそれなんだよ。

 

  ただ、物を場所から場所へ動かしているだけなのさ」

 

 

 何かを成し遂げることや、成長することには、

 偉大な法則が働いているが、

 あなたがたはそれを理解していない。

 

 それゆえ、ほとんどの人は

 周囲の物を動かし続けることによって、

 前進しているかのような錯覚を抱く。

 

 あなたがたは地球上での生存を正当化する一手段として、

 行動したり、重労働に励んだりすることが多い。

 

 働いたり、何かをしたりしているとき、

 ほとんどの人は、「後ろ向き」に創造している。

 

 常に行動的であろうと願い、

 起こっているすべてのことが

 自分の行動の所産であると信じているのだ。

 

 

 

 

 

 

この部分をはじめて読んだ時、少しだけドキッとしました。

 

 

なぜなら、以前の私がそうだったから。

 

 

企業で働いていることや、

営業成績を上げるために何かの行動をすることや、

家族を養っていることで自分を正当化していましたし、

今でも稀にそういう思考癖が顔を出します。

 

 

「この空いた時間に、

 何か意味のある行動をしなければ・・・」

 

 

今の私の場合なら、

オステオパシーや身体についての勉強だったり、

ホームページやブログの更新だったり、

整体院新聞やお客さまへのお便りの原稿作りだったり。

 

 

そんな思考が産まれた時は、自分にこう問います。

 

 

「なんのために?」

 

 

 

 

 

 

 物質世界を観察していると、

 大半の人が「する」ことにかまけ、

 大変忙しくしているのがわかる。

 

 みんな狂ったように何かを「している」が、

 楽しんでいるようにはとても見えない。

 

 一部の者たちは成長するためや、報酬をもらうために、

 意図的に楽しみを「犠牲」にしている。

 

 実際に喜びや楽しみを得たいと思っている者もいるが、

 瞬間的にしかそれを味わえないようだ。

 

 

 普通、あなたがたは、未来のどこかで

 自分の求める満足が得られるだろうと期待する。

 

 来るべき週末、長期休暇、退職後に期待を寄せるのだ。

 

 

 「もっとお金があったら、幸せになれるだろう」

 

 「非の打ちどころのない伴侶が見つかれば、

  幸せになれるだろう」

 

 「自分にぴったりの仕事が見つかれば、

  幸せになれるだろう」

 

 

 大半の人間は楽しみや満足感を未来に期待するが、

 今、ほとんど喜びを感じられない。

 

 だが、何かを実感できるとすれば、

 今、このときしかない。

 

 

 

 

 

 

「今この瞬間」の自分の在り方を、

世間にも家族にも誰にも正当化する必要はない。

 

 

「私は今、こうしたいから、こうしている」

 

 

それだけでいい。

 

 

「なんのために?」

 

 

「私のために。私の喜びのために」

 

 

私は今日、このことを書きたいと思ったから書きました。

 

 

 

 

今日の引用は全て『引き寄せの法則の本質』より。

 

 


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